睡眠中にみる夢について嬉々として話す人をたまに見かけます。
リアルでもいるし、ブログに書いたり、SNSとかでつぶやく人も珍しくないです。
侮蔑するわけではないですが、あくまで自分自身としては、他人の夢の話はものすごく退屈です。
おそらく、自分以外の人にとっても、睡眠中にみる夢の話を聞かされるのは、退屈なのではないかと予想します。
他人の、睡眠中にみる夢の話を聞くのが好きなんていう人は見たことも聞いたこともないです。
世の中は広いから、他人の夢の話が大好きという人もいるかもですが。
夢の話が退屈だからといって、その人に「それは面白くないよ」と直接指摘したりはしません。
それは失礼な行為です。
さて、なぜ人の夢の話が退屈に思えるのか。
ちなみに自分自身のみる夢は、たいへん面白いです。
なんなら人に話して聞かせたいぐらいです。
しかし、当然、人に話すことはありません。
馬鹿馬鹿しい、退屈な話だと思っているからです。
夢の話を他人に語ってしまう心理ですが、――別に何か本で読んだとか、ネットで見かけたとか、そういうことではなくて、あくまで持論に過ぎませんが――睡眠中にみる夢は、自分が主役で、いくら荒唐無稽でも自分が主役だからこそ、面白く感じるのではと思います。
その夢の話は、他人にとっては、自分が主役ではないからつまらなく感じるのではないでしょうか。
あと、夢の話は支離滅裂な場合が多いから、それも他人にとって面白くないと感じる原因の一つかもしれません。
アマチュアの物書きのインスピレーションに重点を置いた小説作品も、同じようなところがあるかもしれません。
つまり、小説とは作者の妄想で、作者自身の頭の中で展開されます。
作者は、登場人物になりきるはずです。
いわば物語を疑似体験しています。
しかも、ストーリーを好きなように展開させることも可能です。
作者にとっては面白いはずです。
けれども、他人が読むと……夢の話と同様に、書き手と読み手の温度差が目立つ結果になるのかもしれません。
※技術によって書かれた小説はこれには当てはまらないと思います。
時々、自作小説を酷評されて落ち込んだり、はたまた敵意をむき出しにしたりする物書きがいますが(アマチュアやプロ問わず)、上記のことを考えると仕方がないのではとも思います。
たとえば――書き手は、自作の小説を100の面白さと自信を持っていたとします。
夢の話に当てはめて考えると、他人の評価は100を超えることはないはずです。
よくて70ぐらい……下手をすると20ぐらいにしか評価されないかもしれません。
話がそれましたが、とにかく睡眠中にみる夢は、自分自身にとっては楽しいもの。それは自分が主役だから。
しかし他人にはその面白さはほぼ伝わりません。
夢の中に、共通の友人なりが出てくるなら話は変わるかもしれませんが。
もし、夢の話を嬉々として聞いてくれる人がいるなら、あなたは幸せです。嬉々として聞いてくれる人は大事にすべきと思います。
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