運が良いとはどういう意味かを考えてみる

 若いときは「この世界は論理的にできている」と考えていました。
 つまり、何かが失敗したり、成功したりするのは、確実に理由があるはず。
 だから、物事をうまくやれば失敗しないし、成功もできるはず。
 ガキでした。クソガキです。
 物事は、積み木のように積み上げていけば、いずれはどこかに到達すると思い込んでいました。

 歳をとってから、その考えが甘かったことに気づきました。
 物事の正否に関わる要素は色々とありますが最重要なのは「運」で間違いありません。
 若いときも、運は必要な要素だと思っていたけど、最も重要とは考えていませんでした。

 たとえば、犬の糞を踏むとか、降水確率10パーセントで外出したら雨に降られたとか、正直そんなことはどうでもいいです。

 自分が考える運の良さは、たとえばポーカーで、ワンペアで勝てる人もいる。
 フルハウスで負ける人もいる。
 そういうことです。
 フルハウスで負ける人は運が悪い。
 ワンペアで勝てる人は運が良い。

 これってすごいことだと思いませんか。
 自分はフルハウスを出した。けど負けた。
 他の人はワンペアでも勝った。
 論理的に考えると、ひどい話です。

 本当に実力がある人は、常にフルハウスを狙うとか、そんな理論も成り立ちそうではあります。
 負けることもあるけどたいてい勝つ。

努力は報われるのか否か

 若いときは、努力は報われるはずと考えていました。
 努力が報われることは、もちろんあります。
 しかし、努力が云々というよりは勝負をすることが重要なのだと認識を改めました。
 努力は、勝負をするための下準備です。

 たとえば、絵をひたすら練習したところで、それは勝負になりません。
 漫画を描いてみる。
 イラストを描いてみる。
 どこかのコンテストに応募してみる。
 コンテストでなくても、ピクシブにアップしてみる。
 Kindleで自己出版してみる。
 なんでもいいです。
 家の中で絵の練習をしているだけでは、勝負していません。
 つまりその努力は報われないタイプの努力です。

 若いときって、この報われるか報われないかの違いが分かりませんでした。
 絵の練習をすることがすなわち努力だと思っていました。
 努力に違いはないのだけれど……その努力は次につなげないと意味がありません。

 福引き券みたいなものかもしれません。
 絵の練習をすると、福引きをする権利が発生する。
 運が良ければ、ハワイ旅行が当たる。
 何度も福引きを回せば、1等は無理でも3等とか4等があたるかもしれません。

 努力する。
 というのはつまり、福引き(さいころも同じ)の回数を増やす、という意味だと思います。

 これが分からないと……血の滲むような努力をした。
 しかしその努力は実らなかった(悪い目が出た)。
 だったら努力なんて無駄、という思考になったりもするかもしれません。

 逆に運がいい人は、勘違いする場合もあります。
 つまり、ワンペアで勝てたことを、自分の実力と勘違いしてしまう。

 飲食店経営などでもよく聞く話ですが、最初の店舗が成功したから借金までして事業拡大をしたら結果大失敗。
 残ったのは借金だけとか。

 物事の成功や失敗は、シビアに見定める必要があります。
 案外と本人の努力など関係ないところで成否が決まることさえあります。

コメント