駅前で踊る中年女性

気怠そうな中年女性が、やる気のない仲間の手拍子で踊っていた。

 まるで目に見えるような光景。
 踊り手は、踊り手自身を、出来てると思ってる。
 技術も決して低くない。
 しかし同時にその踊り手は観客なんてどうでもいいとも思っている。
 自分が踊りたいから踊る。
 見たい人は勝手に見てどうぞ。

 ふと、アマチュア小説の書き手も似たようなものかも、と思いました。
 書きたいから書く。
 というとなんだか格好いいけど、それは結局のところ読者は二の次になっています。

 そういう根本的な部分は恐らく、作品の中に滲み出てしまうものです。
 この踊りを見た人と同じように、書きたいから書いた小説を読んだ読者は「酷くつまらなかった」という感想を抱くかもしれません。
 かといって、読者を意識して、読者に媚びて書くのが正解かというと、それも違うと思います。
 第一、読者を意識して何かを創作するって相当難易度が高いです。
 基本、読者は欲求を言ってくれません。
 だからこそ、言ってくれる人は大事な存在だとも思います。

 作家は、読者の欲求を先回りする能力もある程度必要なのだと思います。

 少し話を戻して、自分の場合、何かを創作するなら「面白かった」という感想が欲しいです。
 
 くだんの踊りの中年女性みたいにはなりたくないです。
 そんなふうには思われたくありません。

 小説をビジネスとして考えると――
「夢をかなえるゾウ」の一節が思い浮かびました。

「つまり、こういうことが言えるわな。『ビジネスの得意なやつは、人の欲を満たすことが得意なやつ』てな。人にはどんな欲があって、何を望んでいるか、そのことが見抜けるやつ、世の中の人たちが何を求めているかが分かるやつは、事業始めてもうまくいく。上司の欲が分かっているやつはそれだけ早く出世する」


 とは言っても……書きたいから書く、と言うのは、基本的な部分だとも思います。
 それを否定するつもりはありません。
 ただ、作家は、読者がいて初めて作家だとも思います。
 書きたいから書く。
 同時に読者のことも少しは考えてみる……そうすると作品はもっと良くなるのかもしれません。

 理想は「書きたいから書いた」作品が、傑作として認められること、でしょうか。
 なかなか難しいと思うけど。

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