ネットで見かけた独り言みたいなものですが、意訳すると以下になります。
「最初の言葉が途中で変わってくる人は注意したほうがいい。たとえ小さな違いでも。そういう人とは関わらない方がいい」
言葉や主張に一貫性がない場合はその人と関わるな、ということを言いたいようですが、事情にもよるので難しい部分はありますが、自分はその時々によって言葉が違ってくるのは当たり前のことだと思っています。
もちろん、Aという行為はだめ。Bという行為はOK。
基本的には、次にそれが逆転するようなことがあってはならないけど、イフ文というか、前提が異なる場合は、逆転することもあると思います。
ありがちな例題ですが、人を殺してはいけない。
これはもちろんそうですが、では、将来、その人物が大きな災禍をもたらすことが分かっている場合ならどうか。
スティーブン・キング著「デッド・ゾーン」は、予知能力をもった男性のお話です。
主人公は、大統領候補者と握手した際、彼が有事になったらためらわずに核ミサイルのボタンを押す予知を見ます。主人公は大統領候補者を暗殺しようとしますが失敗して――
あくまでフィクションでの話ですから「最初の言葉が途中で変わってくる人は注意したほうが~」とはまた違いますが、主人公が大統領候補者を暗殺しようとする点は特におかしいとも思えないし、たとえば半数以上の人は、この主人公の行動に理解を示すと思います。
「それでも人を殺すことはだめだ」と主張する人もいるかもしれませんが、少数派だと思うし、内心、やっかいな考え方の持ち主だなと感じます。
一貫した主張や言葉が常にいかなる場合でも正しいとは自分は思えないです。
変わらないのは逆に危険だと思います。
極論かもしれないけど、十字軍とか宗教戦争とかを思い浮かべてしまいます。
菜食主義者の一部の人たちにも狂信的なものを感じます。
ベルセルクの「モズグス」とかも同じです。
信念や主張がぶれないのは漫画やフィクションのキャラとしてはOKだけど、現実世界ではお近づきになりたいとは思わないです。
ワセダ三畳青春記というノンフィクションがあります。
高野秀行さんが若い頃に暮らしていた早稲田にある狭いアパートでのお話です。
住民に、ケンゾウさんというちょっと変わった人がいて、毎年司法試験を受け続けては不合格になります。
少し引用します。
最後の年、つまり去年はひどかった。「次の試験に受からなかったら腹を切る」と宣言し、購入したサバイバルナイフをみんなに見せてまわった。私たちは恐れおののいた。なにしろ、理想と現実が合致しないとき、理想に現実を無理やり合わせる人である。不合格の場合(それは確実だった)、その宣言どおりに 自分が腹を切るのではなく 宣言を聞いた人間を抹殺するんじゃないかと思われた。
高野秀行. ワセダ三畳青春記 (集英社文庫) (Kindle の位置No.2924-2929). . Kindle 版.
このケンゾウさんには、若干狂気を感じなくもないです。
揚げ足取りみたいだけど「最初の言葉が途中で変わってくる人は注意したほうが~」が正なら、ケンゾウさんは自分で腹を切るか、もしくは宣言を聞いた人間を抹殺するかの二択になってしまいます。
日本人の悪いところ良いところいろいろありますが「1度決めたことを守る」というのもあると思います。
しかしこれは、たとえば最初に決めた計画にこだわってどんな状況になってもそのまま実行するということにつながったりします。
計画みたいなものは、その都度、柔軟に修正や変更を行うべきです(計画と信念はまた別の話ではありますが)。
思想や主張、信念みたいなものも、土台となる部分は必要だけど、状況に応じていろいろと後付けしたり修正があってもいいと思います。
「最初の言葉が途中で変わってくる人は~」というのが「自分の都合の良いことばかり言う人」という意味なら、同意はできますが。
自己中心的なものの考え方をする人間は多いです。そしてそれに気づいてないです。
時と場合によるので、なんとも判断が難しいところかもしれません。
それと――他人の粗は見えやすいものです。
そういう意味では、人間関係において「あれ、こいつ言ってることがこの前と違う」なんてことはそんなに珍しいことではないと自分は思います。
加えて、自分が相手の言葉の意味を間違って覚える、ということもあり得ます。
相手が言ったつもりのことを、こちらが意味をはき違えて覚えたり、相手が言ったはずの言葉を聞いていなかったり、はたまた言ってない言葉を勝手にこちらで補完したり、ということもあり得ます。
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