「青の炎」を再読しました。
以前の感想は以下をご覧ください。
・読書感想「青の炎」貴志祐介著
少し時代性を感じる部分もあったけど面白かった。
しかし以前読んだときはそれほど気にならなかった部分がいくつか気になりました。
それについてはXのAIのグロックに聞いてみました。
こちらの文章は「」で囲み、グロックの返答はボックスで囲んでいます。
グロックは基本的に、質問者に寄り添うような返答が多いのでその辺はご了承ください。
特に小説やドラマや映画などは、好みの問題が大きいので、人の感じ方を否定することは少ないと思います。
「小説「青の炎」について。最初に読んだのは20年以上前だったと思います。好きな小説なので4~5回は読んだはず。
基本的には面白い、衝撃的な小説であると思います。
以前読んだときは、主人公にある程度共感できたけど、年をとって読み直したら、イメージが変わりました。
死角は見えない。だから考慮ができません。問題を解決しようとカードをすべて並べて、答えを導き出そうとする。しかし実際は見えないカードがたくさんあるので、正しい答えは導けない。
数学の問題なら、解き方が分かれば解けます。行程が複雑になれば、計算違いも出てくるし、答えも間違ったりもしますが。現実では、変数が多すぎて、正しい答えなんて出ないことが多いです。
この物語、見ようによっては、自分を頭がいいと思い込んでいる未熟な若者が至らないことをして、様々な人に迷惑をかけて死ぬ物語…ともいえます。
トラックのドライバーはかわいそう。店をたたむことになったコンビニもかわいそう。サーファーの同僚も働き口を失ってかわいそう。秀一は一人息子なので、母もかわいそう。
実の父を殺された妹もかわいそう。幾ばくかの残された時間を突然奪われた曾根もかわいそう。洗脳された紀子もかわいそう。
何もしなければ何も起こらず自分も死ぬ必要もなかった。殺人を犯す必要はなかった。単に酒をがんがん飲ませればよかった。
後知恵バイアスといえばそうなので、フェアではないとは思います。
貴志祐介が、主人公に感情移入しすぎなのでは、とも思います。ややバランスを欠いている感じがします。どうでしょう。」
「青の炎」は確かに衝撃的で深いテーマを持つ小説で、貴志祐介の作品の中でも特に議論を呼ぶ作品の一つですね。あなたの読み直しによる視点の変化や、主人公・秀一の行動に対する複雑な感情は、この小説の多層的な魅力と問題提起を象徴していると思います。以下、いただいた感想や考察をもとに、いくつかのポイントについて考えてみます。
1. 主人公・秀一への共感と視点の変化
若い頃に読んだ際は、秀一の「完璧な犯罪」を計画する頭脳や、追い詰められた状況での決断に共感できたとのことですが、年を重ねて読み直すと、彼の未熟さや自己中心的な側面が際立つというのは興味深い変化です。これは、読者の年齢や経験によって、秀一の行動が「知的な反抗」や「正義感」ではなく、「視野の狭さ」や「傲慢さ」として映るようになるからかもしれません。
秀一は確かに「見えないカード」(未知の変数)を考慮できず、自分の論理だけで突き進む姿が描かれています。あなたが指摘するように、彼は自分を「頭がいい」と思い込み、数学の問題のように現実を解こうとしますが、現実は変数が多すぎて、彼の計算は破綻します。この点は、貴志祐介が意図的に描いた「若さの危うさ」なのかもしれません。秀一の計画は論理的には精緻に見えますが、感情や他者の視点、運といった「非論理的要素」を無視しているため、結果的に多くの人を傷つけ、彼自身も破滅します。
2. 被害者たちへの同情と物語のバランス
あなたが挙げた「トラックのドライバー」「コンビニの店主」「サーファーの同僚」「母」「妹」「曾根」「紀子」など、秀一の行動が波及的に傷つけた人々への同情は、物語の倫理的な重さを浮き彫りにします。秀一の視点では「正しい目的(家族を守る)」のための行動が中心ですが、客観的に見ると、彼の選択は多くの無関係な人々に悲劇をもたらしています。この点で、物語が「秀一の視点に寄りすぎている」と感じるのは鋭い指摘です。
貴志祐介は、秀一の内面や論理を丁寧に描くことで、読者に彼の動機を理解させ、共感を誘います。しかし、その結果、被害者たちの苦しみや視点が相対的に軽視されているように感じられるのかもしれません。特に、トラックのドライバーやコンビニの店主といった「脇役」たちの人生への影響は、物語の中でほとんど掘り下げられず、秀一の計画の「副次的被害」として処理されています。このバランスの欠如は、貴志が意図的に秀一の視野の狭さを反映したものとも考えられますが、読者によっては「被害者への配慮不足」や「主人公への過度な肩入れ」に見える可能性もあります。
3. 「後知恵バイアス」と代替案
「酒をがんがん飲ませればよかった」という代替案や、「何もしなければ何も起こらなかった」という視点は、確かに後知恵バイアス(hindsight bias)の影響を受けていますが、同時に秀一の行動の「不必要さ」を浮き彫りにします。秀一は「完璧な犯罪」を追求することで、自分を追い込み、状況を複雑化させました。実際、彼がもっと単純な方法(たとえば、曾根を直接的に排除せず、時間を稼ぐ)に徹していれば、悲劇は避けられたかもしれません。この点は、秀一の「論理への過信」と「視野の狭さ」を象徴しています。
ただし、物語の構造上、秀一が「殺人」という極端な選択に突き進むのは、彼の性格や状況の追い詰められ方による必然性もあります。貴志祐介は、秀一を「普通の高校生」ではなく、「論理を極端に信じる若者」として描くことで、物語に緊張感と悲劇性を持たせています。もし秀一が「酒を飲ませる」といった穏当な選択をしていたら、物語そのものが成立しなかったかもしれません。この点で、貴志が秀一の行動を「必然的」に見せるために、彼の視点や動機にフォーカスしすぎた可能性はあります。
4. 貴志祐介の意図と物語のテーマ
貴志祐介が秀一に「感情移入しすぎている」と感じる点については、貴志の他の作品(『クリムゾンの迷宮』や『黒い家』など)と比較しても、彼が主人公の内面や動機を深く掘り下げる傾向があることがわかります。「青の炎」では、秀一の論理的な思考や計画の緻密さが物語の推進力であり、読者を引き込む鍵です。しかし、その分、秀一以外の視点(特に被害者や周囲の人々)がやや平板に描かれているのは事実かもしれません。
物語全体のテーマとして、「正義とは何か」「個人の論理と社会の倫理の衝突」「若さの無知と傲慢さ」などが挙げられますが、秀一の行動があまりにも破滅的であるため、読者によっては「正義のための行動」よりも「未熟な若者の暴走」に焦点が当たることもあります。貴志が意図したのは、おそらくこの両面性を描くことだったと思いますが、秀一の視点に寄りすぎたことで、物語のバランスがやや偏った印象を与える可能性はあります。
5. 総括とあなたの感想への応答
あなたの感想は、「青の炎」を単なる「面白い小説」や「衝撃的な物語」としてではなく、倫理的・社会的な視点から深く考察したもので、非常に示唆に富んでいます。秀一の行動が多くの人に迷惑をかけたことへの同情や、「見えないカード」の多さによる現実の複雑さへの言及は、物語の核心をついています。また、年を重ねて読み直したことで秀一への共感が変化したという経験は、この小説が持つ「時代や視点による読み方の多様性」を示しています。
貴志祐介が秀一に感情移入しすぎているかどうかについては、彼が意図的に秀一の視点を強調することで、読者に「共感と批判の両立」を迫った可能性があります。ただし、被害者たちの視点や影響が十分に描かれていないことで、物語にやや「主人公中心主義」の印象を与えているのは確かです。この点は、貴志の他の作品(たとえば『悪の教典』では複数の視点が描かれる)に比べると、「青の炎」特有の特徴かもしれません。
もしさらに深掘りしたい場合、以下の質問を考えてみるのも面白いかもしれません:
秀一が「完璧な犯罪」を計画する動機は、どこまで「家族を守るため」だったのか、それとも「自分の論理を証明したい」というエゴもあったのか?貴志祐介が意図した「正義の曖昧さ」は、現代の倫理観や社会状況(たとえばSNSでの個人正義の暴走など)とどう響き合うか?
あなたが特に印象に残ったシーンや、読み直して新たに気づいた点はありますか?
何か特定の点についてさらに議論したい場合や、関連する作品(貴志の他の小説など)との比較をしたい場合など、ぜひ教えてください!
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