SNSで、AIが進化すると、翻訳の仕事がなくなると主張する人がいました。
別の人が反論していて、論文などはそうかもしれないが、文芸の翻訳は絶対に人間でないと無理とのこと。
さて、AIが進化すると、本当に翻訳業はつぶれるか。
未来は誰にも分かりませんから、どうなるかは不明です。
私は、どちらの言うことも一理あると思います。
しかし「文芸の翻訳は絶対に人間でないと無理」と言う人は、古い考え方というか、現代がどのような世界なのか分かってないのではとも思います。
20年前、やがては車の自動運転が普及すると主張したら笑われたはずです。
いまはどうか。
まだ問題は残ってはいるものの、近い将来自動運転は実用化されることになると思います(一部か完全かは別として)。
AIの研究者ではないし、特に知識もありませんが、現在、脳をデジタル化する技術は研究中だそうで、数年先は無理でも、10年後、20年後には、実用化されているかもしれません。
これも確実ではなくて、脳のデジタル化が実際に実用化されるのか、それとも頓挫して、やっぱり駄目でしたで終わるのかは分からないです。
しかし、そういう時代なのは間違いありません。
もし、脳のデジタル化が可能ならば、翻訳の仕事が云々とか、低次元すぎてどうでもいい話です。
どの本で読んだのかは忘れましたが、第二次世界大戦が終わった後、社会学の学者たちは、未来を楽観視していたそうです。
世界はどんどんよくなってユートピアのようになると。
いまの世界がユートピアでしょうか。
かつてより便利な世の中にはなりました。
しかし、ユートピアとはいえません。
脳のデジタル化に限りませんが、テクノロジーの進化も、ふたを開けてみたらそれほどでもなかった……ということもあり得る話です。
その場合は、翻訳業などの仕事は、今より数を減らすかもしれないけど、生き残るとは思います。
AI、人工知能が更に発達して、自分で自分を再設計したら…人間の存在する意味がなくなるかもしれません。
機械生命ということになりますが、彼らが地球の次の支配者になるのかもしれません。
そうなってしまえば翻訳の仕事はなくなります。
翻訳の仕事に限らず、ありとあらゆる仕事はなくなるかもしれませんが。
脳のデジタル化については、ぜひ実現して欲しいです。
たとえば…脳をデジタル化して、記憶媒体の中にコピーして、自我はどうなるのか疑問ではありますが、自我を記憶媒体の中の脳に移すことができるのなら、仮想現実の中で生きていけることになります。
つまりある種の不老不死の実現です。
文芸の翻訳は絶対に人間ではないと無理、と思う人は、ホモデウスを読むことをお勧めします。判断の一助にはなると思います。
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