職業訓練の専門学校に通っています。
通学は電車を利用しています。
改めて思うのは、電車は中は殺伐としている、ということ。
行きの電車(朝)では、誰も喋りません。
どこかの誰かがシャカシャカと音楽を聞く音が大きく聞こえることもあります。
あと、知り合い同士、中年のオバサンなどが小声で話している場合もあるけど、周りが静かな分、耳障りに感じたりします。
帰りの電車(夕方)は、静かな時もあるけど、高校生や大学生が大声で喋っていることもあります。
とにかく他人同士は全く会話をしません。
同じ空間にいながら、みんなそれぞれ、他人のことは無関心の様子。
まあ、自分が子どもの時もそうだったし、これからもそうだと思います。
ところで、虎の門ニュース8時入りというネット番組で、青山繁晴さんが、アメリカはフレンドリーで、駅とか空港とか、公共交通機関では、知らない者同士普通に話すそうです。
青山さんの話じゃなくて、どこかのニュースサイトかブログか忘れましたが、その人がアメリカのニューヨークの地下鉄か何かに乗っていたとき、突然近くに立っていた人が近寄ってきて「そのバッグはどこで買ったんだい?」と話しかけてきたとか。
話しかけられた人も「これはどこどこで買ったんだ。○○ドルだった。まだ残っていると思うよ」とかそんなふうに答えたらしいです。
それが日常でごくありふれた光景とのことでした。
殺伐とした通勤電車に乗っていて、そんなアメリカの話を聞くと、憧れ的なものを感じます(笑)
日本ではちょっと想像ができないです。
日本でも、たとえば、電車の中で、ある人が、よっぽどレアな商品を持っていて、別の人がそのレアな商品の愛好者とかであれば、話しかける可能性はあるかなと思います。
どこで買ったんですか、とか、この商品はいいですよね~みたいな。
自分は経験はないけど、それならあり得ます。
青山さんの話に戻りますが、青山さんは、なぜアメリカと日本でこんなに違うのかを仰っていました。
うろ覚えで若干違うかもしれませんが、アメリカは他人を信用していないから、自分の近くにいる人間とそのようにスキンシップをとる。
銃社会でもあるし、突然、ズドンと撃たれる可能性もある。
だから、フレンドリーに話しかけて、うわべだけでも信頼関係を保とうとする。
日本は、治安が良くて安全だから、そのようなスキンシップは必要ないとのこと。
確かにそうかもしれません。
話は続きがあります。
角川インターネット講座の「情報技術とリアルコミュニティ」という章を読んでいたら、興味深いことが書かれていました。
日本は、社会的孤立の高い国に位置づけられています。
「社会的孤立」とは、家族以外の他者とどれくらい交流や付き合いがあるかに関するもので、ある統計では、先進諸国の中で、日本がもっとも社会的孤立度が高いとなっていました。
個人主義的と呼ばれる傾向の強い国は、概して社会的孤立度が低いそうです。
逆に家族主義的な傾向の強い国は、概して社会的孤立度が高い。
ちなみにオランダ、アメリカ、デンマークが個人主義的な国の傾向が強く、反対に家族主義的な国は、メキシコ ポルトガル、イタリアなど。
家族主義的な傾向の強い国は、家族や集団の内と外の境界が強くなって、境界を越えた繋がりが薄くなる。
個人主義的な国は、独立した個人同士が集団を超えて緩く繋がる。
――ということは、日本の電車の中が殺伐としていると感じるのは、国柄として、家族主義的な傾向があるからのようです。
あえて反論するなら、理論の後付けかな、という気もします。
もちろん、間違っているとは思わないけど、結果から逆算したという感じも受けます。
マクロ視点。
青山さんの、日本は安全だから、知らない人と交流を持つ必要がない、という論も一理あるとは思います。
こちらは、実際に経験したことが背景になっています。ミクロの視点といえそうです。
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