自己を正当化するのは、誰しも経験があると思います。
自分もあります。
若いときはそれが顕著でした。
自分しか見ていないからだと思います。
自己中心的でした。
たとえば自己の正当化とはどういうことか、説明すると――
ある男性が、電車に乗りました。
座席が空いていたので座りました。
次第に電車の中が混んできます。
老人を見かけたので、席を譲ろうとします。
「俺は年寄りじゃない!」と怒られました。
男性はその一件がきっかけで席を譲ることをやめました。
なぜなら席を譲ろうとすると怒られたから。
これが自己正当化です。
もう一つ。
男性Aが道を歩いている。
目の前から身なりの良くない別の男が歩いてきた。
身なりの良くない男のポケットから何かが落ちる。
Aは、落ちたなにかを拾うこともせず、声を掛けずにそのまま歩きすぎた。
Aは、落ちた何かを拾わないと決めた瞬間に、自己を正当化します。
自分は急いでいる。
あれは落ちたんじゃなくて捨てたものだ。
男の身なりが悪いから、関わり合いになるべきではない。
そもそも自分とは関係がないし、自分が拾う義理は一切ない。
自己正当化をすると、まるで自分は悪くないように思えるから不思議です。
車やバイクの運転でもありがちですが、道を譲った。
お礼もなにもされなかった。
だからそれ以来、道を譲るのをやめた。
▲これも自己正当化のひとつです。
自己正当化をするとどうなるか
自己正当化は、誰しも経験がありますが、それをやってしまうと、視点が歪むので、正常な判断が下せなくなります。
自己正当化の視点の歪みを解消するためには、自分を第三者として仮定して考えてみるのが効果的です。
自己正当化をするのは若い人に多い印象だけど、高齢者でも普通にいます。
かくいう自分は……気をつけてはいるけど、自己正当化はよくしています。
とは言っても、上記の考えが分かっていて、自己正当化するのは、まだ大丈夫かなとも思います。
知らず知らずのうちに自己正当化をして、それが正しいと思い込むと、判断を誤ったり、大きな失敗をしてしまうかもしれません。
物事を客観的に判断するのは難しいものです。
自己正当化をせずに、物事を客観的にみると――それはそれで多大なストレスがかかりそうではあります。
恐らく、常に善悪の判断を客観的に行うと、精神が耐えられないのかもしれません。
人間はみな、自分がカワイイものです。
適度に自己正当化しつつ、時々省(かえり)みる程度でいいのかもしれません。
コメント