戦争体験をした人の話は(最近は少なくなった)、どこまで本当なのかは分かりません。
盛って話している可能性があります。
その人の思想も影響するはずです。
これは戦争体験の話に限りません。
たとえば2人の人がいて一方をA。一方をBとします。
Aは不動産に詳しくBは疎いです。
この場合、Aが不動産に関して嘘の知識を教えてもBはそれが嘘であるとは分かりません。
そこにもし、Cという、Aより不動産に詳しい人がいた場合、Aの言動は変わる可能性が高いです。
Aが適当なことを言えば、Cから突っ込みが入るからです。
戦争体験者の話はこれに似ています。
人が何かを勉強する意味は、こういうところにもあると思います。
あることを勉強すれば、それに関して、相手が本当を言っているのかどうか、判断できるようになるからです(その判断が正しいかどうかは別)。
とは言っても、勉強が絶対的なものでもありません。
つまり、自分の知識に照らして、相手の言っていることを嘘と判断したとしても、実際は嘘ではないかもしれません。
事実は小説よりも奇なり、という言葉がありますが、そんなことが起こるはずがないという事象が普通に起こったりもします。
従って、ある事象に対して、自分の常識に照らして「あり得ない」と考えたとしても、その事象が自分の常識の範囲外にある場合、その事象は「あり得ない」とは言い切れません。
話は戻って―――戦争体験者が荒唐無稽と思われる体験談を語ったとして、実際に本当である場合もある、と言えます。
しかし話の真贋を判断するものがないなら、その点も考慮する必要があると思います。難しい。
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