心霊現象とか祟りとか、不思議なこととか、基本的には信じないです。
けど、それらを否定するつもりはありません。
信じる人は信じればいいです。
不思議と思われる現象のほとんどは、脳の錯覚だと思います。
動物の祟りとか 厄年とか 守護霊もそう、人間が考え出したもの、シャーマンなども、幻覚や思い込みのたぐいだと思います。
虫の報せも同じだと思います
たとえば虫の報せ的な胸騒ぎを10回感じたとする。
そのうちたまたま1回が当たった。
何も起こらなかった9回は忘れます。
そして、偶然に当たった1回は記憶に残ります。
だから虫の報せは本当にあるのだ、と思い込むのだと思います。
雨乞いと似ているかもしれません。
雨が降らないなら雨乞いをすればいい。
そのうち雨は降る。
雨乞いは効果があるんだ、ということになります。
不思議なことを思いっきり信じている人もいます。
それはその人の経験とか、考え方とかに関係するから、無下に否定はできません。
その人にとっては本当なのだからそれを否定するのは失礼な話です。
とは言っても、やはり心の底では(それは錯覚、錯誤だよな……)と思います。
以前働いていた飲食店にキッチンチーフがいましたが、そのキッチンチーフが若い頃働いていた飲食店のオーナーが、霊感がある人だったそうで、突然、窓を全開にして空気を入れ換えるとか、いきなり何もないところに塩を撒き始めるとか、奇っ怪な行動が目立ったそうです。
しかしながら、実際に不思議な現象が起こるの確かです。
ほとんどは錯覚、偶然のたぐいなのでしょうけど……
ある夜、夢をみました。
スーツの襟がめくれている場面が記憶に残りました。
翌朝、箪笥の戸にひっかけてあるスーツを裏返したところ、襟がめくれていました。
確かに不思議です。
正面からスーツを見ても、違和感は全くないのに。
夢でお告げがあった、ということです。
こういうことは確かにあります。
けど、突き詰めれば偶然だろうと思います。
スーツの襟がめくれていた夢を見た。
実際にスーツを確かめてみた。
襟がめくれていなかった。
あの夢に意味はなかったんだ。
だったら記憶に残しておく必要もない。
逆に、正夢のようになったらこうやって記憶に残ります。
そういうことの繰り返しが積もり積もって「不思議なことは実際にある」と思い込んでしまうのかもしれません。
たとえば、珍しい事象が何度も起こった場合、そんな偶然が頻繁に起こるはずがない――と思いがちですが、これも思い込みのようです。
コインを投げて裏や表がでる確率はおよそ5割ですが、表が続けて10回出ることだってあり得ます(いわゆるギャンブラー錯誤)。
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