「サピエンス全史」の下巻を読みました。
上巻の感想は以下をお読みください。
・ユヴァル・ノア・ハラリ 「サピエンス全史」(上巻)の感想
上巻は書籍版を購入しました。
今回の下巻は、図書館で借りました。
福岡ですが、予約をしてから実際に貸し出しまで4ヶ月ほどかかりました。
上巻は、面白いのは面白いけど、想像の範囲内でした。まあまあです。
下巻は、途中までは上巻の延長のような感じで、やはりまあまあ面白かったです。
正直にいうと、興味の持てない部分は飛ばし読みしました。
しかし最後まで読んだ感想としては「サピエンス全史」は名著だと思います。
星をつけるなら5点評価で5点満点。
読んだ価値はありました。
最後の章「第20章 超ホモ・サピエンスの時代へ」は興味深く読めました。
結局のところ、人類種の進化と淘汰、歴史の始まりから農業革命、文字の発明、産業革命、経済、畜産、科学、宗教、戦争など、あらゆるものを網羅してたどり着いたのが「第20章 超ホモ・サピエンスの時代へ」で、それまでの長いテキストは、20章の前振りでした。長い前振りでした。
現在は特異点にさしかかっているかもしれないという筆者の言葉は、確かにその通りかもしれません。
つまり、これから何十年後か何百年後は分かりませんが、現在の人間を超える、神に近い存在が現れたとき、それ以前のことはどうでもよくなるとのこと。ビッグバンみたいなものです。
本書で、2050年までには、人間の不死が実現するだろうとも述べています(全員ではなくごく一部の人類)。
同じく2050年までには、脳をネットにつなぐ技術や、脳をデジタル化する技術も登場しているかもしれません。
そうすると……いろいろなものががらりと変わることになります。
本書にも書かれていますが、予測はあくまで予測でしかありません。
自分が子供の頃の未来予測では、車は空を飛んでいたし、人類は宇宙に大きく進出していました。
しかしインターネットの台頭は誰も予測していませんでした。そういう意味では、未来は、予測以外のことが起こるはずです。
いずれは脳がネットにつながり、他人の経験を検索して、自分の中に取り込むことができるようになるとのこと。
一見、荒唐無稽のように思えます。
しかし、それは現在の人間の視点で考えているからです。
人間を超えた、人間が考える全知全能に近い生き物、もはや神のような存在ですが、不死で、病気にもならず(または病気になっても即座に完治して)、知識は森羅万象に精通し、考え方は合理的で、弱さが一切ない存在として考えるなら、他者の記憶を自分のものとしたり、自分の知識を他者と共有したりすることになんら抵抗はないはずです。
喜怒哀楽の感情、はたまた隠し事や秘め事やその他諸々のことなど、どうでもよくなると思います。
羞恥心なんて、一種の弱さの現れですから。
神に近い存在に羞恥心があるなんて思えません。
そして――この文章を書いている自分、そしてこの文章を読んでいるあなたも、ひょっとしたら、そのような神に近い存在が現れる歴史的な瞬間に立ち会える可能性が少なからずあるという点は、知的好奇心を刺激されました。
いずれは「ホモ・デウス」も読んでみたいと思います。
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