ユヴァル・ノア・ハラリ「ホモ・デウス」の感想

ホモ・デウス 上下合本版 テクノロジーとサピエンスの未来 ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来
「ホモデウス」を読みました。
 感想を書こうと思いながらも時間が経ってしまい、細かい部分は失念しました。
 おぼろげながら覚えていることを中心に感想を書いてみます。
 間違った解釈、思い込みによる勘違いもあるかもしれません。
 また読み返したくなると思うので、再読したら改めて感想は追記します。

 前提として「ホモ・デウス」に書かれていることは予言ではなく、あくまで1つの未来予測にしか過ぎません。
 未来予測が当たるかどうかは、過去の実験があります。
 専門家でも、当たる確率は半々です。
 ですから「ホモ・デウス」に書かれているような未来がやってくるかどうかは誰にも分かりません。
ホモデウス上下巻
 ▲「ホモ・デウス」で語られる未来ですが、近い将来、人間より高度な生命体が現れるだろう。そのとき、人間はその高度な生命体に生殺与奪を握られてしまう可能性が高い。
 高度な生命体は、最初は遺伝子に改造を施した人間として現れ、やがてサイボーグ化されていき、最終的には機械生命に置き換わるとのこと。

 現在の人間は、犬や猫、はたまた牛や豚などの動物に対しては、人と同じ権利は認めていません。人間より下等な生物として考えています。
 もし、上記のような高度な生命体が地球上に現れたとします。
 高度な生命体は、現在の人間が、下等な動物に対応するのと同じように人間を扱う可能性があります。なぜなら人間は、高度な生命体からすると下等な生き物に位置づけられるからです。
 これがナンセンスかどうかは、現在の人間が動物にどんなことをしているかを見れば答えは分かるはずです。
 むやみやたらと虐殺することはないにしても、人間の命と動物の命は、等価ではありません。
 高度な生命体の考え方ひとつによって、人類はあっさりと絶滅させられるかもしれません。

 そしてそれは千年後の遠い未来ではなく、ほんの数十年先の近未来に起こるかもしれません。
 
 映画のターミネーターのような話ではありますが、人類と機械生命が対立するのはあり得ないと思います。
 なぜなら、人間は動物を敵とは考えていません。あくまで下等な生命体です。
 戦いにはなりません。一方的な虐殺です。
 現代の軍隊と、古代の軍隊が戦えば、キルレシオがどうのというレベルではありません。

 機械生命は、寿命がありません。休息も必要ありません。病気にもなりません。パーツが破損しても交換可能です。知識を全体で共有することも可能です(この部分はすごい。一糸乱れぬ集団行動が可能になります)。計算間違いをすることもありません。どう考えても生身の人間は勝ち目がありません。

 理論物理学者のスティーヴン・ウィリアム・ホーキングは次のようなことを述べています。
「もし宇宙人がわたしたちのところにやってきたら、コロンブスがアメリカ大陸にやってきたような結果になるだろう。先住民にとっては決してよい結果ではなかった」

「ホモ・デウス」によればつまり、上記の『宇宙人』と同じ存在を、いまの人類がやがては作り出す可能性がある、と述べています。
 荒唐無稽と考える向きの人も多いかもしれません。自分は十分に可能性のある話だと思います。

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